振り返るQMA史(QMA1,2編)



アバターの体操服はコンマイからの試金石だと思います、げっとです。
さて、メインも引き継いでQMA4も本格開始したついでに、これまでのQMA史を簡単に振り返ってみようと案外どうでもいいことしてみます。これ書いとけばQMA関係で自分を説明する機会があるときにここ見ればいいのでラクかなと。


【QMA1時代】
このころは九州で学生やってまして、音ゲー(主にドラム、弐寺)を時々する程度で行ってたゲーセンに入荷していたのをたまたま見たのがきっかけでした。プレイしてみた理由はネットワーク対戦というのが斬新でおもしろそうだったのと、タイピングや四文字等これまでクイズゲームで見ること無かった形式が面白そうだったの二点ですかねぇ。
このころは今でいうライトユーザ層で、月に1,2回プレイする程度でした。なにより仕送りゼロな超貧乏学生だったので資金力がないというのもありましたけど...中級の時何気なくやった『放課後ガチバトル』で賢者3人にボコボコにされたのはよきおもひでです。
結局、上級大魔道士スパイラルを越えた大魔道士7級ぐらいでQMA2が始まってしまったのでここで終了。ついでに言うとこのころは問題なんて覚えようともしませんでした。
QMA2時代】
前半は主に小倉(カジノ、今は亡きカジノ横のアーバン、チャチャタウン)で、後半はセイタイトーメルクスでプレイしてた記憶があります。賢者リーグ分割前の一回戦スポランは暗黒の時代ですね。とにかく何もできず平均順位が13,4位ぐらいだった覚えあり。分割後も白銀↑リーグでは踏み台としてしか活躍できず、結局黄金賢者を半分過ぎたあたりでサービス終了。
このころから戦績をとり始めデータも残っているのですが、見直してみると決勝が遠くてただただ泣けてきます。こっそり書きますが賢竜杯Ⅱにも観客として参加してました。皆さんのマシーンのような正確無比の速さに唖然しましたねぇ。


QMA3は...こーはんへつづくー(キートン山田風)